最近、FC、インファンの中では「高い意識」と「こだわり」という言葉を多く使う。
物事に取り組む姿勢があまりにも漠然としているために出た言葉である。そんな漠然とした行動が後に何の良い結果ももたらさずに時だけが過ぎていくということを若者達はまだ知る由もない。
ただ漠然とボールを蹴り、あたかも汗をかいて充実感にひたり帰ることが上達に繋がるものであれば、そこらへんの若者達だって普通にやっているでしょう?
通常例えば、インサイドパスがアップの10〜15分やるとして、そのインサイドパスを2時間かけてやることでどんな発見があるのであろうか?「こうしてみよう、ああしてみよう」「何故浮いてしまうのかな」2時間ぶっ通しで、同じ質のボールを蹴り止めることが果たしてできるだろうか?
「そういえば試合中敵も存在するよな」「ボール受ける前に周囲も確認するよな」「味方が受け易いボールって?」「身体の角度は?」
「どこでインパクトすれば地を這うのか?」
蹴ることはできても「精度」を求める発展型トレーニングをすると、もう違う世界になってしまう若者の技術レベル。
「こだわり」と普段の意識が低い、低い意識を365日続けてもたいした上達は望めない。何故なら他も365日やはり同じように練習はしていたら尚更だよね。
30m先からゴールポストに必ず当てることができる精度を求めてトレーニングするとやりながらどう蹴っていけばどうなって行くか?ということは考えるようになるはずだよ。これこそ漠然とやっていても習得はできない業だね。
35m先にある3m四方の枠で待っている選手に正確にノーバウンドでしかもツータッチしかできない条件で何度もコントロールできる技術を習得するのは容易ではないね。
そこに「意識」というものが出てくる。こう蹴って、こういう角度で当てればこうなるという意識だ。
一線級になる人間はそもそも高校や成人になってからではなく、小学生から既に意識してやっているものだよ。
だからやっていて漠然としている者では到底気づかない疑問や成果色々な面で気づけているのだ。
これらの意識改革によってどう成果が変わって行くか?やった者にしか判らない世界である。
折角サッカーに時間を使えるのだ。もっと意識して、もの事へのこだわりを持って行くことでボールを足で扱う職人に近付くのではないか?
これを徹底して伝えることが必要である。
2008年01月18日
この記事へのコメント
コメントを書く

