本日の練習、外3名のフリーマン、中5名の8対8を実施した。
FCの選手も加わったため、どうしても子供の存在が陰になってしまう。
密集地帯のトレーニングは体育館では欠かせない。密集地帯でボールコントロール、判断のスピード、機転を働かせたプレー、仲間を上手く使い自分が活きるなどテーマはゴロゴロ転がっている。
FCの選手が自分のしたいプレーを主張する。それを「ハイハイ」と言わんばかりに子供達は動かされる。自ら動き、ボールをコントロールするのではなく「動かされる」のである。
ブラジルでこんなことが思い出される。自己主張が強い人間達と同じグランドに立ってプレーすると、必ず自分のしたいプレー、ボールを欲しいタイミングをアピールしてくる。そのタイミングで来ないと物凄く怒る。
日本人に対しては尚更である。
そこで日本人は言葉の壁もあるが、ブラジル人の勢いにおされ、自分のプレーが出来なくなる。しかし、トレーニングが終わるとケロッとして普通に接する。
「できれば自分のところにボールが来ないほうがいい」サッカーを真剣にしたことの人間であればもしかしたら一度は体験しているかもしれない。
ミスをするのではないか?仲間の要求どおりにできないのではないか?などの不安がよぎる。
でもね、結局言われて沈んだら負けなの。ブラジル人とフッチボールしてきて感じたのは、自分が良いプレーをするために周囲を巧く使い、早く自分のペースに持っていき、自分のミスでもミスを認めてしまえば、チームメイトが正しくなってしまう。自分がミスだったということをゲーム中は認めない。責任逃れと思いがちであるが、そうではないように思える。
自分はこうしたかったのに、その要求に答えられないお前は一体どういうことなんだ?という憤りとも感じる。
子供達それぞれにも「どうしたいか?」という考えがあるはず。年上に年上のやりたいことを要求されてそれで答えられなければ怒られるというスタイルを一生続けても、子供達は一向にフッチボールは巧くならないし、アイディア、機転の利いたフッチはできないと思う。
「自分はこうしたかったんだ!!」と言える選手になって欲しい。技術の質も練習になるが、子供達は少なくともグランド内では自己主張を強く持ち自分が一体どうしたかったのか?を年上相手に平気でいってのけて欲しいと願う。「言い成り」では自立を促すスポーツ、フッチボールは習得できない。
ポジショニングの悪さもはっきり視ることができるため、面白いメニューになったと思う。
2007年02月06日
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