いよいよ新年度の自分達のサッカーの進路先について決定をしていかなくてはならないようになってきたようだ。
ほとんどサッカーを通じて何を学んでいくべきか?ということに関して、深く追求されて来た体験はいままでにないであろう雰囲気をしっかりと醸し出している。しかし、これが普通なのであろう。
子供達はこれからサッカーをやっていくことに関して、意識的な知識はほぼゼロに近いから、このゼロの状態をCOJBに来たことにより、サッカーに対する考え方が180度変化していくのは間違いない。そしてサッカーだけでなく、サッカーを通じて各々の人生をもしっかりと自分で切り開いていく高い意識に変わるということを確信する。サッカーを真剣に打ち込むということは、私生活の意識も高くなっていくということは十分可能であるということを証明していきたい。
サッカーというスポーツが何故、世界中の人に愛されるスポーツなのか?
そんなものの本質を一部でも理解していければ頼もしい限り。
子供達を例えると、まだ形の無い粘土。これから本格的に粘土に手が加えられていく。サッカーは勿論、私生活まで、一人の人間として。
形の無い粘土は、基礎練習を見れば一目瞭然だった。
でも、何故か年齢的に、特別参加てせ4年生と5年生の子もいるけれど、6年生や中学生と比較しても技術の本質はさほど変わらないの。
本当はそれではいけないのだけれども、段階を経てしっかりと詰めていない空のダンボール箱、中身がぎっしりと詰まっていないで次のダンボールを乗っけるため、下のダンボールはへこみ、崩れまた最初からやり直し。
カキ氷でいえば中がすかすかでシロップを入れたらあっという間にとけて崩れていってしまう。
頑固なカキ氷屋さんのカキ氷は氷がぎっしりと詰まっているからシロップをかけてもそう簡単には崩れない。
20歳になって空のダンボールなら修復に時間掛かるけれど、14,5歳ならまだ詰め直すのに時間は掛からない。
既に、動き方、走り方、構え方そのものが空のダンボールであるから、荷物つめがえがあるというもの。
だらだら集まり、だらだら散る、更にだらだら動いて練習時間は費やしたが中身が詰まらないままだらだら帰宅して、だらだら食事してだらだら寝る。
そこにはなんのメリハリも無い。声は出さない、動きにもアクセントがない。「どっちかにして欲しい」と子供達に要求した。
また、コーチの言い成りにやっていると、頭を働かせないから自分で学習してないから吸収の度合いも低い。このようなサイクルを何の疑問も感じずに20歳を迎え「進路どうしようかなー」っていっている内に30歳近くなり「COJBでプロを目指したいのですけれど・・・」ってなる。遅い、どう考えても。そんな人の予備軍にはしたくない。
声を出さなくても、動きが機敏であったりすれば、それだけで目立つ。何故なら他は皆一緒だから。どっかのセレクションを受講する時もそうなのではないか?確かにJの下部組織セレクションを拝見しても、元気がない。
一体なにをしにここにきているのかな?ってインタビューしたくなる。
形式など表面、上っ面ではない。中身、中身が大切。ジュニアユースはその空のダンボールにぎっしりと物を詰めて、上から重いものを乗せてもびくともしないダンボールを作る。今日もそんなことを考えながら帰宅した。
2007年02月01日
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